So-net無料ブログ作成
前の10件 | -

間欠的記憶の泉 “Downtown” 1966 [音楽]

Petula Clark Downtown EP ビートルズ The Beatles が来日した1966年のこと、イギリスの女性歌手、ダスティ・スプリングフィールド Dusty Springfield の「この胸のときめきを」 “You Don’t Have To Say You Love Me” click が大ヒットしました。その影響かも知れませんが、同じくイギリスのペトゥラ・クラーク Petula Clark が歌った「恋のダウンタウン」 “Downtown” という曲もよくラジオで耳にしました。

ダスティ・スプリングフィールドとペトゥラ・クラークは、どちらも今風の言い方でアラサー世代の大人の歌手でした。私はどちらの曲も気に入っていましたが、1966年当時、父親のトランジスタラジオで音楽を聴き始めたばかりの中学1年生にとっては、情感をこめた切ない歌声の「この胸のときめきを」よりも「恋のダウンタウン」のほうが、何か無性にわくわくさせられるお洒落で魅力的な響きのある曲なので好きでした。

なお、「恋のダウンタウン」は1964年の冬にシングルがリリースされ、その年の内に本国イギリスのヒットチャートでは4週連続2位。年が明けて65年の初めには、ビルボード・ホット100のシングルチャートで2週連続1位を記録し、世界的な大ヒットとなります。ちなみに、そのとき全英ヒットチャートで第1位をがっちりキープしていたのが、ビートルズの「アイ・フィール・ファイン」 “I Feel Fine” click です。レノン・マッカートニーの絶頂期でしたから、致し方なし!

歌詞の内容をかいつまんで紹介すると、大体、次のような感じになります。適当な要約ですが、悪しからず。

いつも明るく、ネオンがきれいなダウンタウン。映画、音楽、楽しいことがいっぱいのダウンタウン。喧騒がさびしさを慰めてくれるダウンタウン。素敵な出逢いが待っているダウンタウン。ひとりぼっちの夜はダウンタウンへいらっしゃい。

当時は歌詞の内容などまったく知りませんでした。ただ、タイトルの Downtown は繁華街というニュアンスの単語ですが、中高生のころ私が使っていた三省堂の『コンサイス英和辞典』には、その訳として「下町」としか書かれていなかったように思います。そのため、神田・上野界隈や江東区・墨田区などの庶民的な街並みをイメージして、タイトルと曲の雰囲気が合っていないという違和感を抱いていたように記憶しています。今回、初めて歌詞の中身を覗いてみて、やはり想像していた通りの内容でした。


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

記憶のグラフィティ 1965 Summer* [音楽]

* この記事は、20104月中旬の削除記事を再編集したものです。

Mel Carter 1966 by PhotoFunia今回紹介する曲は、メル・カーター Mel Carter 1965年の大ヒット曲、“Hold Me, Thrill Me, Kiss Me” です。別の歌手による1952年の作品をメル・カーターがカバーし、ビルボード・ホット100 のイージーリスニング部門第1位に輝きました。

私がこの曲を知ったのは、メル・ギブソン主演のアメリカ映画、「ワンス・アンド・フォーエバー」 We Were Soldiers 2002年)の中でのことでした。この映画はベトナム戦争初期の激戦を記録したノンフィクション作品から映画化されたものですが、その中で、メル・ギブソン率いる部隊がベトナムに派遣される前日、基地内の将校クラブで壮行会のダンスパーティが催され、バンドのステージに上がった士官が “Hold Me, Thrill Me, Kiss Me” を絶唱します。その歌声が雰囲気も迫力もあり、初めて聞いて好きになりました。

“Hold Me, Thrill Me, Kiss Me” とは、「抱いて、ぞくぞくさせて、キッスして」という意味です。メル・カーターの曲をネットで調べて、そのタイトルと1965年の作品であることを初めて知ったとき、私が田舎の小学6年生だったその年の夏休みに、曲のタイトルとよく似た出来事があったことを思い出しました。気恥ずかしいファーストキスの思い出です。

相手は、担任の女の先生。臨海学校でキャンプファイアを囲んだときのことでした。けっして児童虐待などというものではありませんが、これが、私のお粗末なファーストキスでした。その上、その現場をすぐ近くにいたクラスの女の子たち23人に目撃され、最悪でした。

翌年の春、小学校の卒業式を終えて父の転勤で東京に戻ってからも、年賀状だけは先生に毎年書いていましたが、大学生になる頃、私の方から年賀状も出さなくなったと記憶しています。その後、母が人づてに聞いた話によると、先生はあの小学校の校長になられたとのこと。それが私の聞いた先生の最後の消息です。


美しき戦慄のアリア [音楽]

The Sum of All Fears 2002アメリカの作家、トム・クランシーの小説に、「ジャック・ライアンシリーズ」と呼ばれるベストセラーシリーズがあり、4作品が映画化されています。私は、その4作品の中で、作家の出世作となった第1作「レッド・オクトーバーを追え!」(1990年)と、第4作の「トータル・フィアーズ」(2002年)の2本が好きです。とりわけ、「トータル・フィアーズ」は音楽の使い方が素晴らしく、映画にとって音楽がいかに重要なものであるかを実感させてくれる作品です。

映画「トータル・フィアーズ」は、原題が The Sum of All Fears (恐怖の総和)と言います。この恐怖とは、アメリカとロシア、両国の政府関係者が互いの核戦力に対して抱いている恐怖心のことです。米ソ冷戦時代が終わり、核軍縮交渉と核弾頭廃棄を推し進めている最中、ワシントンにほど近いボルチモア港でテロリストによる核爆弾を使ったテロが発生します。原作ではイスラム原理主義勢力の犯行という設定でしたが、映画ではヨーロッパの国際的なネオナチ組織による陰謀というストーリーに変更されています。この陰謀によって両国政府の疑心暗鬼が一気にエスカレートし、互いにICBM発射のカウントダウンを開始。しかし、CIAのアナリストである主人公ジャック・ライアンの活躍によって、危機一髪、全面的核戦争が回避されるというスリリングな物語です。

この映画には、冒頭から美しいBGMが流れ、随所に効果的な挿入曲が入ります。そのようなシーンの中でも音楽的にひと際優れているのが、クライマックスで核戦争が回避された後、二国間で新しい核軍縮条約が調印されるシーンです。両国の大統領が条約文書に署名するシーンの中に、事件の首謀者たちがCIAとロシア情報機関によって次々と殺害されていくシーンが挿入されています。まず、第四次中東戦争当時のイスラエル軍の核爆弾(不発弾)を修復してボルチモアへ輸送した南アフリカの武器商人。次いで、ネオナチに買収されてアメリカ空母を攻撃したロシア空軍の司令官。そして最後に、事件の首謀者であるオーストリアのネオナチ指導者が。

このシーンは、残酷な殺人場面の連続です。しかし、けっして殺人の美学などというものではありませんが、シーン全体にBGMとして流れるクラシックの名曲によって、不思議なほど感動的なシーンに仕上がっています。その名曲は、1924年に亡くなったイタリアオペラの巨匠プッチーニ Giacomo Puccini の遺作、「誰も寝てはならぬ」 Nessun Dormaです。プッチーニの没後に初めて公演されたオペラ、「トゥーランドット」 Turandot のアリアです。このオペラ自体は、中国の都と宮殿を舞台としたいささか荒唐無稽なストーリーなのですが、「誰も寝てはならぬ」は、正にこころ洗われる美しいアリアです。

PS YouTube作品の Nessun Dormaは、映画のBGMと同じ作品です。ブルース・スレッジ Bruce Sledge は、現在アメリカでもっとも売れている(舞台数の多い)テノール歌手のひとりだそうです。


I Will Survive 1978* [音楽]

Gloria Gaynor 1996 (CD)前エントリーでグロリア・ゲイナー Gloria Gaynor の曲を取り上げました。2001年バージョンの「君の瞳に恋してる」 “Can’t Take My Eyes Off You” です。大体、70年代後半以降の音楽には拒絶反応を感じることが多かった私にとって、この曲はまったく想定外の発見でした

そこで、グロリア・ゲイナーがメジャーになるきっかけになったという1978年の「恋のサバイバル」 “I Will Survive” という曲を聴いてみました。すると、これがまた私にとっては驚きの新発見(^^; 絶対に1度では覚え切れないだろうと思えるほど長い歌詞を、アップテンポで叩きつけるように連打してくる歌いっぷりは凄いですね。英語の歌詞付きのYouTube作品で歌詞を追いながら聴いていると、とても面白いです(^^) 英語の歌を唄いこなすには、ネイティブスピーカー並みのしゃべりができなければ無理だなということを、改めて実感しました。

I will survive という英語は、普通は「大丈夫です」、「平気だよ」というくらいの意味だそうですが、歌詞の中身は、自分をふった元カレがある日ふらりと戻ってきて、冗談じゃないわ、アンタなんかいなくたって平気なんだよ! という内容です(^^; 曲のスタイルがダンスミュージックとは言え、捨てられた男への虚勢を張った恨み節という感じは、往年の中島みゆきさんの曲を彷彿とさせます。

“サバイバル”が外来語として定着するきっかけにもなった曲だそうですので、日本でも相当に人気があったのでしょうが、その辺りのことはまったく知りませんでした(^^;

* この記事は、20105月中旬の削除記事を改訂・再掲出したものです。


君の瞳に恋してる from 1967* [音楽]

The 4 Seasons 2001 (W-CD)1960年代の後半、中学生のころに、フォーシーズンズ The Four Seasons の「シェリー」 Sherryclick という曲をラジオでよく耳にしました。フォーシーズンズは男性4人のコーラスグループです。四季という意味のグループ名が気に入り、テープレコーダーに録音して何度もくり返して聴いていました。

「シェリー」は私が思っていたよりも古い1962年のヒット曲でしたが、やがて1967年には、「君の瞳に恋してる」 Can’t Take My Eyes Off Youclick がヒットします。私はこの曲をフォーシーズンズの曲として記憶していました。しかし、シングルレコードはリードボーカルのソロシングルとして発売されたそうです。ビルボード・ホット100の第2位を記録する大ヒットとなったことで、結果的にはリードボーカルが独立し、それ以後、フォーシーズンズの名前は日本の洋楽ヒットチャートに登場しなくなったみたいです(-_-;)

Gloria Gaynor 2008 (AD)しかし、「君の瞳に恋してる」は多くのアメリカ人に愛されつづけ、世界からも、もっともアメリカ的な曲として、アメリカの良いイメージを象徴するような“音楽遺産”へと進化しました、ちょっと大袈裟ですが(^^;

実際、たくさんの歌手やグループが「君の瞳に恋してる」をカバーし、バンドやオーケストラの定番のスタンダードナンバーにもなりました。そのアレンジや歌われ方、演奏のされ方は時代によってさまざまですが、フォーシーズンズのオリジナルと聴き比べてみると、音の厚みや洗練さを増して、単なる個性の違いではない“進化”を感じさせます。

もっとも優れていると思ったのは、グロリア・ゲイナー Gloria Gaynor の作品です。グロリア・ゲイナーは、70年代のディスコサウンド全盛期にメジャーヒットを飛ばしたシンガーです。ただし、この曲は2001年のレコーディングではないかと思われます。私はダンスミュージックには関心がありませんでしたが、この作品は別格です。歌がうまいし、声もいい、乗りのよさももちろん最高(^^) 大人がワクワクして聴ける曲、思わず「アイ・ラブ・ユー・ベイービ」、「アイ・ニードゥ・ユー・ベイービ」と口ずさんでしまう曲です(^^;

 

* この記事は、20105月中旬の削除記事を改訂・再掲出したものです。


The Lost Big Hit in 1967* [音楽]

1967年の夏ごろからヨーロッパで注目を集めた「パーリー・スペンサーの日々」 Days of Pearly Spencer” という曲がありました。私は、このタイトルにとても興味をそそられました。何者か高尚な人物の生き様を語っているような気がしたのだと思います。

Days of Pearly Spencer 1967 (Single)そう感じたのは、パーリー・スペンサーという人物名のせいだけでなく、緊張感のあるオーケストラの旋律もそのような高尚なイメージを与えたからです。さらに、拡声器からの声に似せたフレーズがあり、それが一体どういう状況を表現しているのか、例えばデモの現場とか、刑務所の庭とか、そういうことを想像してとても気になりました。個性的で素晴らしいアレンジの曲だったと思います。その後、多くのミュージシャンがカバーしたようですが、今、そういったカバー作品の一部と聴き比べてみても、オリジナル曲がベストだと思います。

オリジナル曲を歌ったのは、デビッド・マクウィリアムズ David McWilliams という北アイルランド出身のシンガーソングライターです。WikiEng)よると、パーリー・スペンサーというのは本名かどうか分かりませんが、彼が北アイルランドのある町で出会ったホームレスの名前だそうです。私にとってはまったく意外なことであり、かつて想像していた内容とは随分違っていました。しかし、高尚ぶった歌詞ではないようなので、返ってほっとさせられました(^^;

Maunsell Army Fort 2006 (C)Hywel Williamsデビッド・マクウィリアムズの「パーリー・スペンサーの日々」は、日本でもシングルが発売されましたが、ヒットしたかどうかは記憶にありません。しかし、ヨーロッパでは多くの国でヒットチャートのトップに立ったそうです。ところが、その制作元の会社(あるいはその経営者個人)が北海の公海上にあった旧軍事施設の海賊放送局と関係があり、シングルの販売に海賊放送が深く関わっていたため、イギリスの国営放送である BBC が放送禁止の扱いをしたということです。そのため、イギリスでもこの曲が知れ渡っていたにもかかわらず、肝心の国内ヒットチャートに載ることはなく、幻のヒット曲に終わってしまったという次第です。

ちなみに、北海にある旧軍事施設というのは、テムズ川河口の沖合いで浅瀬が広がる水域にあり、第二次大戦中、防空のために建設された海上要塞(マンセル要塞)です。戦後、イギリス政府がこれを放置しておいたところ、その多くが当時の領海外(公海上)にあったため、1960年代に多数の施設が民間人に占拠され、海賊放送局として使用されていました。 (写真下・Maunsell Army Fort in Shivering Sands [コピーライト] Hywel Williams

PS メロディの美しさを聴くのに最適だと思いますので、レイモン・ルフェーブルのインストゥルメンタル作品も下に紹介しておきます。

* この記事は、20118月初めころの削除記事を改訂・再掲出したものです。


The Greatest Hit in 1966* [音楽]

「夜のストレンジャー」 “Strangers in the Night” フランク・シナトラ Frank Sinatra 1966年の春に放った世界的なビッグヒットです。私にとっては、この曲がシナトラとの最初の出逢いであり、シナトラといえばこの曲というほど忘れられない作品です。

当時、巷では加山雄三の映画「若大将」シリーズが大人気で、「君といつまでStrangers in the Night 1966 (LP)も」がヒットし、「幸せだなあ」と言って指で鼻をこする仕草が小学生にまで流行していました。しかし、私はまだ中学1年生でしたが、若大将には目もくれず、ビートルズやローリングストーンズに熱中しながら、シナトラの歌にも聴き惚れていました。そのころ音楽を聴くのは、夜、父親のお下がりのトランジスタラジオからでしたが、夜のしじまに流れるシナトラの歌声は素敵でした。

もっとも、当時は曲の内容などまったく理解していませんでした。ストレンジャーの意味を「見知らぬ人」ではなく「よそ者」だと思っていたほどです(^^; 今頃になって分かったのですが、歌詞の中身は、ある夜、初めて出逢った女性と惹かれ合い、ダンスを踊り、それから愛し合ったというものです。“Strangers in the Night” とは、「見知らぬ二人が夜の街で」という意味だったのですね。

しかし、それだとまるで行きずりの恋の歌ですが、歌詞の最後には、「それ以来、僕たちはいっしょにいる」、「ひと目で永遠の恋に落ちてしまった」という落ちがついています。つまり、最愛の人生の伴侶を得た愛妻家の歌だったのです。このあたり、歌いっぷりだけでなく、歌詞もさすがに粋だなと感心しました。

* この記事は、201011月の削除記事を改訂・再掲出したものです。


真赤な太陽 by Tボーンズ [音楽]

Sippin N Chippin (1966・LP)1966年の春から夏にかけて、「真赤な太陽」 “Sippin’ ’n Chippin’” というエレキギターのインストゥルメンタル・ロックがヒットしました。演奏していたのは、Tボーンズ The T-Bones というアメリカのバンドです。ビルボード・ホット100のシングルチャートで最高62位というマイナーなヒットで終わりましたが、日本ではもう少し人気があったと思います。なお、原題をフルスペルで書くと Sipping and Chipping となります。私にはどう訳せばよいのか分かりませんが、少なくとも「真赤な太陽」にはならないと思います(^^;

当時は、ベンチャーズ The Ventures に代表されるエレキのインストゥルメンタル・ロックが全盛期でした。日本でのベンチャーズ人気も凄かったと思います。しかし、中学生の私には、写真で見たベンチャーズが“おじさんバンド”に見えたためでしょうか、あまり好きにはなれませんでした。他のバンドから受けた印象も大体似たり寄ったりで、結局、Tボーンズの「真赤な太陽」だけがインストゥルメンタル・ロックのベストナンバーとして記憶に残りました。

Tボーンズは、「真赤な太陽」に先立って、“No Matter What Shape Your Stomach's Inという曲をシングルリリースします。これは、アルカセルツァーのCM BGMとして作られた曲です。TV-CM が大変に優れていたこともあり、ビルボード・ホット100のシングルチャートで最高3位を記録する大ヒットとなりました。「真赤な太陽」と同じく、1966年春のことです。

The T-Bones 1966この曲名の意味は、太鼓腹もぺちゃんこのお腹も、「どんな体形でも 胃袋が中にあります」ということ。アメリカ人のTボーンステーキ好きは有名ですが、「アルカセルツァーで胃を大切に」、「胸焼け・胃もたれに、アルカセルツァー」といったコンセプトのCMに、Tボーンズのイメージがぴったりだったのでしょう。その成功によって「真赤な太陽」も他社のCMソングとして採用され、シングルリリースされましたが、あいにく柳の下に二匹目のどじょうはいなかったようです(^^; しかし、私は、「真赤な太陽」の方が “No Matter What Shape よりも格段に優れていて魅力的な曲だと思います。

ちなみに、翌1967年には、ボブヘアーでミニスカート姿の美空ひばりさんがブルーコメッツをバックに「真赤な太陽」の大ヒットを放ちましたが、もちろん、その曲はTボーンズの「真赤な太陽」と無関係です。


The Fool on the Hill 1967 & 1968* [音楽]

Sergio Mendes 1960s「フール・オン・ザ・ヒル」 “The Fool on the Hill” 1967年のレノン・マッカートニー(ジョンとポールの共作)の作品であり、アルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」 Magical Mystery Tour の収録曲です。ただ、そのテーマ曲の「マジカル・ミステリー・ツアー」はヒットしてよく覚えているのですが、この曲のことはあまり……。そのころのビートルズは、インド音楽に傾倒してシタールを使ったり、LSDの幻覚をイメージしたサイケデリックの臭いがしたりと、明らかに“変質”していました。私はまだ中学生でしたが、そんな風に様変わりしていくビートルズのことを醒めた目で見ていました。そのせいで、このアルバムの曲にはあまり関心が持てなかったようです。

「フール・オン・ザ・ヒル」が好きになったのは、翌1968年、セルジオ・メンデスとブラジル’66 Sergio Mendes & Brasil '66 の作品が日本でヒットしたときのことです。セルメンは、1966年に「マシュ・ケ・ナダ」 Mas Que Nadaclick で世界的な大ヒットを飛ばしました。以来、ボサノバとロックを融合させた新ジャンルとしてボサロックと呼ばれ、それまでに私が好きになったアントニオ・カルロス・ジョビンやアストラッド・ジルベルトとは全く違う、新しいボサノバの魅力を教えてくれました。 「フール・オン・ザ・ヒル」もボサノバのアレンジが良かったです。ビートルズの原曲よりも、ずっと新鮮で魅力的な響きがありました。

Paul McCartney 1960s「フール・オン・ザ・ヒル」の歌詞は、Day after day, alone on a hill で始まります。ポールの作詞でしょうか、全篇を読んだことはないのですが、最初の部分だけでも心に不思議な余韻を残しました。「来る日も来る日も、彼はひとりで丘の上にすわり、じっと遠くを見つめている」、「その目には、水平線の彼方にある素晴らしい光景が映っている」といった意味の詞だという紹介を、ラジオ番組で聞いた記憶があります。“fool” というのは良い意味ではありませんが、そのピュアな心を持った男の目には、海の向こうにある希望に満ちた世界が映っていた(これは私の勝手な解釈です)という詞には、泣かせるものがありましたね(^^;

* この記事は、20106月の削除記事を改訂・再掲出したものです。


Stand by Me 1961 & 1986* [音楽]

Stand By Me 1988 (CD)ベン・E・キング Ben E. King “Stand by Me” は、20世紀中に2度もビルボードのトップ10入りを果たすという珍しい記録を打ち立てました。最初は1961年、R&Bの歌手でありソングライターであった彼の初期を飾る代表作として、2度目は1986年、同名の映画「スタンド・バイ・ミー」のテーマ曲として。まさに“不滅の名曲”です。

しかし、どちらも彼にとっては予想外の出来事だったそうです。特に1986年のヒットは、映画がアカデミー賞にノミネートされるほどの成功を収めると同時に、リーバイスの人気CMにも使用され、その相乗効果によって、翌87年には全英シングルチャートの第1位を記録するという“おまけ”付きでした。お蔭で、音楽家のライセンスフィーなどを管理する団体(BMI)が選定した The Top 100 Songs of The Century” に選ばれました。

この曲は、もともと素朴なラブソングです。男から女へ、「そばにいてほしい」と、熱い気持ちをくりかえし訴える歌詞になっています。しかし、映画「スタンド・バイ・ミー」のテーマ曲としてヒットしたお蔭で、聴く人の受けるイメージは一変したと思います。映画のテーマは、友情でした。男女の愛の歌に、親友との友情という新しい価値が加わって、より普遍的な愛の歌へと昇華したように思います。

River Phoenix 1989 by Wikimedia Commons余談ですが、映画「スタンド・バイ・ミー」は、主人公のゴーディをはじめとする4人の少年たちがとても良かったですね。

個人的には、ゴーディの親友クリスを演じたリバー・フェニックス River Phoenix が、不遇な家庭環境にへこたれないしっかり者のキャラクターを好演してとても好感が持てました。現実の彼も、そういう育ちでありながら子役としてがんばり、認められてスターへの階段を上ろうとしていたそうです。しかし、映画の中のクリスは苦学して弁護士となり、たまたま入ったレストランで喧嘩の仲裁をしようとして刺し殺されるという不幸な設定になっていますが、現実のフェニックスも、スターダムを目前にしながら、コカインとヘロインの急性中毒により弱冠23歳の若さで急逝しました。何とも虚しく悲しい結末です。

* この記事は、20107月の削除記事を改訂・再掲出したものです。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽
前の10件 | -